1st『yellow』発表後~2ndアルバム『DATE』まで|田中元の岡村靖幸レビュー(3/3)

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田中元 twitter.com/genmogura

前回の更新が確か2月なので、かなり期間が空きました。この回から読み始める人がいるかもしれないので軽く説明させてもらうと、1回目は僕が岡村靖幸さんを知り、魅了された過程を書き、2回目からは岡村さんのファンになったばかりの人のためにバイオグラフィーを書いています。

第一回:寂しくて悲しくてつらいことばかりならば あきらめてかまわない 大事なことはそんなんじゃない – 岡村靖幸1
第二回:デビュー前~『イエロー』発表 – 岡村靖幸2

今回は3回目で、1stアルバム発表以降~3rd発表前の岡村さんの活動について書かせてもらいます。では、長いのですけどよろしくお願いします。

87年7月に発売された4枚目のシングル“ドッグ・デイズ”。1st『イエロー』の頃の岡村さんは、キザなキャラクターで売り出そうとしていた節があるが、この曲からは岡村さん自身が「あったかもしれない自分」を展開させ始める。伸びやかなシンセによる胸が躍るようなイントロ、アコースティック・ギターと弾けるようなスネアによる引き締まったリズムは、洗練された響きを鳴らしている。歌の内容は、彼氏持ちのギャルに、一途で純情だけれどしがない学生でしかない少年が恋をしてしまうというもの。

時間の経過を表すためなのかもしれないけど若干間奏が長く、キメのフレーズのようなものがない辺りに少し物足りなさを感じたりするのだけど、メロディメイカーとしての岡村さんはいかんなく発揮されている。

ちなみにこの「ドッグ・デイズ」という聞きなれない言葉は、散歩が大好きな犬ですら外に出たくなくなるくらい暑い日々……つまり、夏真っ盛りを指すイギリスのことわざらしい。実は岡村さんは、父親の仕事の都合により、幼稚園から小学校の1年生になるまで、4年間ほどイギリスで暮らしていたのだそうだ。

楽曲に英語が入りまくっていたり、その発音がやたらネイティヴっぽかったりするのは、幼少期に1度英語を習得していたためである。この曲と、カップリングの“シャイニング(君がスキだよ)”は、オリジナル・アルバムには収録されていない。

アルバムの整合性を考慮しての判断でもあるとは思うのだけど、シングルのみでの名曲というのが後のキャリアでもいくつか存在している。これは、岡村さんが憧れを抱くビートルズのように、オリジナル・アルバムでは聴けない名曲も作っておこうという意図があったのではないだろうか。やはり岡村さんは、レコードとしての構成や統合性にこだわる人なのである。まあ、90年代後半からのいくつかの楽曲については、アルバムを完成させられないままレーベル移籍をした関係もあるのだろうけど……。

そして88年2月、2ndアルバムへの露払いとして、シングル“イケナイコトカイ”が発売される。

主人公は、女性を独占できないことに心をかき乱される。その姿は、ドン・ファンというヤリチン貴族に弄ばれ、彼を繋ぎとめることができなかった女性の心情を描いているかのようだ。この楽曲が女性にカヴァーされることが多いのは、セックスに求めるもの女々しさにあるのではないだろうか。それにしても、ここまで少年性や純情さを前面に出していた岡村さんが、こんなにもあからさまに性愛を歌いあげたことは、1stからのファンにとっては大きな衝撃だったに違いない。だって、考えてみて欲しいのだけど、こんなにセックスしたがっている日本語の曲はありませんよ!そう、楽曲は後半に進むにしたがい歌声がソウルフルに高まっていき、ゴスペルのような荘厳さを生み出している。

僕はいつもこの楽曲を聴くと、僕は岡村さんが高校時代に経験したという唯一の男女交際について思い出す。

高校2年生の頃、岡村さんは他校の女子と恋に落ちたらしい。向こうも好意を抱いているかのような素振りで接してきたので、人生で初めて愛の告白をしようとまで思ったのだという。そして2人で海辺を歩くという絶好のシチュエーションを迎え、いざ告白……というところで、彼女は突然涙をこぼしながら、実は他に付き合っている男がいることを告げてきた。岡村さんは、その瞬間に、醒めてしまったのだという。「恋の駆け引き」とか「自分の欲望を満たすために打算的に動く」ということが、岡村さんは大嫌いなのだそうだ。そういった事柄の絡む恋愛は「美しくない」のだと。「付き合っている相手がいるのに他の男にモーションかけるなんて美しくない」らしい。その時の岡村さんが、高校2年生ということで、16歳か17歳。

“イケナイコトカイ”を作ったのは、おそらく22歳でのこと。深読みのしすぎかもしれないが、岡村さんの楽曲では中高生時代の恋愛を振り返るこというモチーフが頻繁に出てくるので、そんな気がしてしまうのだ。潔癖な態度で相手への想いを断ち切ったつもりでも、やはり、思い出してしまうものなのだろうか。上述の「醒めてしまった」という発言は、岡村さんが23歳の頃のインタビューで語っていたことだが、たぶん強がりを言っていたのだと思う。

そして同年の3月に、2ndフル・アルバム『DATE』を発表。ミュージシャン・岡村靖幸としての本領が発揮され、パブリック・イメージが確立されるのはこの作品から。ジャケットは黒めのシャツかとずっと思っていたのだけど、どうやらレースの網状で、スケスケな衣装のようだ。それにしても、この岡村さんの眼光の鋭いこと。デートで相手がこんな目つきしてたら恐くてしょうがないですよ。またロゴの色も含め、このアルバムは紫一色である。この時期のイメージ・カラーでもあったということだが、初っ端から岡村さんのネタ元であるプリンスからの引用を潔く表明してしまっているという点も注目。この人もやはり、引用やモチーフとして使うことがあっても、隠したてたりしないところが特徴だと思う。ブックレットのコスプレ集も必見の出来。肝心のアルバムの出来の方も、若干曲調のアップ・ダウンが多くアルバム全体として見るとせわしない印象を受けるものの、全体のクオリティとしては格段に上がっている。1曲目の“19”。速すぎて踊れはしないが、岡村さんのパーカッシヴなアコギ演奏を堪能できる曲である。シングル曲ではないのだが、PVも存在している。

2曲目、“スーパー・ガール”は、楽曲自体はかなーり外行き的なつくり。やはりここで登場する女性も、高飛車で、男なんてアッシー・メッシーとして使って当たり前と思っているギャルである。この曲の主人公は、そのギャルの良いように使われることを遺憾に思いつつも、用を頼まれたらヘコヘコしながら聞き入れてしまうようだ。だが、岡村さんの他の楽曲と違う点は、この主人公がやけに自信家な面も持ち合わせているというところだ。それは、多くの男が一度は抱くであろう「自分が世界で一番優れた人間なのである」という願望を歌いあげる部分に強く表出している。

主人公は、否定的な言葉を告げることで、相手から嫌われてしまうことを何よりも恐れているのである。素の自分のまま相手に近寄ることができないというのは、岡村さんが反復し続けるモチーフだ。あるいは、自分がどれだけ努力をしていても、相手の女性は見向きもしてくれないという状況が、次第に主人公を狂わせているのかもしれない。むしろこの曲は、スーパー・ボーイの歌なのではないかと思うのだが、どうだろうか。

4曲目“ライオン・ハート”は、きらびやかでありながら儚さを感じさせるキーボードのイントロからゆったりとビートが入って来る部分を聴いただけで、ただの添え物ではないことがわかる。そして4分31秒と、決して尺の短い曲ではないにもかかわらず、ブックレットのこの曲のページには空白が目立つ。語られる言葉がとても少ないのである。そこにつづられているのは、岡村さんの曲にしては珍しくストレートに解釈できる物語だ。内容は、かつては恋愛関係にあった女性と一夜を共に過ごすというものなのだが、主人公は「いいひと」を演じてしまい、彼女に触れることができない。

ビートが速度を増し、ストリングスが情緒を煽りたてるように重なっていく様は、絢爛な舞踏会にも馴染みそうだ。そして爆発するかのようなドラムが鳴り響き、曲は佳境を迎える。紳士的でありたいという気持ちと、野獣のように強引にでも自分のモノにしてしまいたいという欲求のはざまに揺れる様を表現しているのだろうか。

僕がこのアルバムを聴いたのは2009年の1月頃。

当時僕は(略

2008年の6月に恋人に振られていたのだけど、貸していたものがあったため、受け渡しのため7月に1度会う機会があった。彼女の容姿が可愛く見えたのは自分の恋人だったからで、恋人フィルターを外してみてみたら「実はそんなでもないじゃん!」的な展開だったらありがたかったのだけど、やはりその子は死ぬほど可愛らしかったのでとんでもなく絶望した。

時間はあっという間に過ぎた。

別れ際、僕が抱えている悩みごとなどを言ったせいで、相手は泣いてしまった。生きているだけで人に不快な想いをさせ続ける正真正銘のゲス野郎だなと自分でも思うのだけど、心の底では、まともな精神状態ではないことをさらけ出して気を引こうとしたのだと思う。「あなたは、こんなに精神的に追い詰められている男を振るつもりなのか?」という強迫だ。この期に及んでまで、「どん底にいる自分を、女の子に引っ張り上げてもらう」的なシチュエーションを作りたがっていたのだろう。あるいは、あなたがいないとだめなんです的な。ほんとに死ねよ。

その子がうつむいて地面に涙をこぼしているのを見て、どうにかしなければ……と思ったのだけど何も言えなかったし、できなかった。もう恋人じゃないし、けど嫌いになったわけではないと言ってるし、でも男が恐いと言ってたし……と、頭の中をいろんなことがぐるぐる回ってた。

結局、彼女の頭を撫でたいと思うのは彼女のきれいな髪が好きだからで、涙をぬぐいたいと思うのは彼女のまっしろで柔らかな肌が好きだからで、彼女を抱きしめたいと思うのは彼女のにおいやぬくもりが好きだからだ。どさくさに紛れて欲望を発散させようとしている、下劣なクズ。そもそも慰めるという行為を、泣かせる原因である自分がして良いわけがない。彼女は僕にそういった行動を求めて涙を流しているわけではないのだ。結局、彼女は泣き止んだ。そしてそのあと、ふつうに、いくつか言葉を交わすことができた。僕は終電で家に帰ることにした。

電車が発車してからホームを見たら、彼女は柱に寄りかかってまた泣いていた。今考えると、別に終電で帰る必要なんてなかったし、終電よりももっと逃がしちゃいけないものがあったと思う。少しでも復縁できる可能性を温存したくて、伝えたいことはほとんど伝えられなかった。もちろんその可能性なんてものが成功する確率なんてほとんどないとわかっていたからこそ、明らかにしてしまう行動ができなかったのだ。あの時にしっかり思っていることを伝えて、すっぱり拒絶されておくべきだった。相手の気持ちを考えない最低で醜悪な人間で、ほんとこいつ死ななきゃだめだって未だに思っているので、この曲を聴くとその時の記憶がよみがえって、うわーって叫びそうになる。僕の場合は、猛獣の様なハートになったところで恋人に戻れる状態ではなかったけど、サビを聴くと泣けてしまう。こういう頭のおかしい人間のねじれた解釈や感情移入が岡村さんを苦しめるのだろうか。

楽曲の話に戻ると、サビの部分でアクセントとしてかき鳴らされるアコギが、たまらない。大好き。この繊細さと力強さを行き来する最高のドラミングは、スタジオ・ミュージシャンとして絶大な支持を集める村上“PONTA”秀一氏が叩いている。
無理に全てのことを自分でやろうとするよりは、楽曲のクオリティ向上に貢献することを念頭に置く姿勢が、やっぱり岡村さんの良い所だなあと思う。

なめらかなストリングス・アレンジもこの楽曲においては絶妙なマッチングを見せており、アダルトなムードを醸し出すことに成功している。この原曲を聴いてしまうと、『早熟』の“ハリウッドVer”にはほんとに閉口させられる。アレンジ、歌詞、メロディ、構成、どれをとっても楽曲のテーマに沿って一点のブレもなく作られているのに、なぜあんな物がつくられるのか理解できない。日本の漫画や映画が、ハリウッドでリメイクという名のもとにレイプされる現象の先駆け的存在。
『Shall we ダンス?』の原作とハリウッド版のように、天と地ほどの違いがあるわけですよ。とにかく、個人的にこのアルバムの中では一番好きな曲がこれ。アルバムのジャケットにも表れているように他の楽曲にはまだ少しカッコつけな部分が強いと思うのだけど、この曲には岡村さんの素のエモーションが投影されているように感じるからだ。

5曲目“いじわる。粘っこいファンク・ギターが、いやらしさを際立てるミドル・ナンバー。ヒップにしゃがむってどういう状況やねん、というのは永久に解けない謎の1つなので、気にしたら負けである。ひどく軽薄なセックスライフを送っている女性が、実はそんな生活に傷ついていることを知ってしまう靖幸の歌なのだろうか。そう、この楽曲から、曲中に「靖幸」というワードが登場するようになる。これは事件ですよ、奥さん。だってこの当時岡村さんは童貞なはずなのに、女の子とこんなにやらしい東京ナイトライフを過ごす妄想をして、しかも歌にまでしているんですよ!バブルに引き裂かれた悲しきエロティック・モンスターが頭角を現した瞬間である。僕は、岡村さんがただの変態ナルシストではないということを知らしめたいと思っているし、だからこそこの文章を書いているが、初めて『早熟』でこの曲を聴いた時は「こいつ、マジで狂ってんなあw」と、爆笑を禁じえなかったものである。

また、歌詞の一部にはクイーンの曲名からの引用を見せたりする。ビートルズに負けず劣らずハオクオリティ・ハイペースな創作活動を続けたバンドだし、王族関係でいえば岡村さんの父(兄?)であるプリンスの母親に当たるわけだから、岡村さんもクイーンから強く影響を受けているのかもしれない。

6曲目“デート”はアルバム中盤のハイライトで、流麗なストリングスから、再び岡村さんの語りが始まる。この告白の破廉恥さは、「デート」なんてレベルじゃありませんよ!そして、弾けるスネアと、巨人が足踏みをしているかのように重厚なキックが生みだすビート。最高でしょう。クラブ・ミュージックが進化しまくった90年代を経た耳で聴いても、全く古びていない。

この曲での岡村さんのヴォーカリゼーションときたら、保守的な大人たちをからかうかのようで、たまらないですよ。アウトロのベースのぶっとさは、その音だけで1曲作れるだろうと思ったものである。

8曲目の“うちあわせ”は、そんなに好きな曲というわけではないのだけど、女性ファンの中には好きな曲の筆頭に挙げる人が存在しているようである。音楽的にそんなに面白くないし、女性をモノ扱いしている感があって、そこが僕はちょっと……。

品行方正であることを求められながら育った女性は、岡村さんの言葉に「代弁してもらえた」という思いを抱くのかもしれない。

9曲目“不良少女”は、イントロの、マーチング・バンド風のドラムが、歌に入る瞬間にスローなテンポに変わるところがとても好き。社会から弾かれた少女に理解を示すような内容なのだけど、上から目線で、押しつけがましくなっているところが少しだけ気になる。岡村さんが持つある種の規律正しさは、のちに自身を苦しめることになったのだと思う。

そして“イケナイコトカイ”を挟んで11曲目の“19才の秘かな欲望”。岡村さんが作曲した渡辺美里さんの曲を、スタジアム・ロック風にアレンジしてカヴァーしたもの。このアルバムのプロデュースとしてクレジットされている「マキシーン・システム・カンパニー」とは、岡村さんの別名義。なので、実質この作品からプロデュースは岡村さん本人によるものだ。ちなみにこのマキシーンという名前だが、岡村さんがイギリスにいた時に仲良くしていた女の子の名前を拝借したものらしい。その子はかなりませていたらしく、岡村さんに積極的にアプローチをして、恋人関係にまでなっていたというかいわらしいエピソードがある。「全てのプロデュース、アレンジ、作詞、作曲、演奏は岡村靖幸によるものです。」という、プリンスを真似たクレジットはされていないものの、後の岡村さんに繋がる要素はほとんどお目見えした『DATE』。

1stアルバム制作時からどのような環境の変化があったのかはわからないが、岡村さん自身から発せられる言葉が増えた今作。そもそもソロ・デビューに当たって自分で詞を書くということを想定していなかったという岡村さんだが、半ば必要に迫られるようにして、音楽に言葉を乗せ、歌にしたものが思いのほか反響が良かったことで自信を付けたのは間違いないだろう。楽曲自体も、ただ隙間を埋めるためだけに配置されている音が多かった印象の前作と比べてみると、全ての音が必然的に鳴らされているかのようにすら聴こえる。ただ良くも悪くも、自制が効くようになってしまったところがあり、“Young oh! oh!”にあったような、がむしゃらに猛進していくようなエネルギーの炸裂がないのがすこし残念に思える。この方向性で、あとアルバム1枚は作って欲しかったな……なんて、今さら言ったって仕方が無いことだけど。

また、“スーパー・ガール”は、アルバム発売の翌月にシングル・カットされている。これは同月に放送が開始された「シティ・ハンター2」というテレビ・アニメのエンディング・テーマとして起用されたことに合わせての発売である。シティ・ハンターのテーマ曲として最も有名なのは、“ゲット・ワイルド”だろう。誰もが一度は耳にしたことがあるであろうこの楽曲を歌ったTMネットワークは、小室哲哉さんが率いるユニット。小室さんと岡村さんは、互いに渡辺美里さんのライターだったこともあり、旧知の仲である。渡辺美里さん最大のヒットとして知られる“マイ・レボリューション”も小室さんの作であるということで、ある意味岡村さんは二番手に甘んじているとも言える。ちなみに、同曲のシングル盤のカップリング曲“みつめていたい”の作曲は岡村さん。小室さんは中退したものの高校から大学まで早稲田に通い、音楽においても幼いころから才能を発揮しまくっていたエピソードがある人物だ。その生き方は、高卒で叩き上げの岡村さんとは対照的である。そんな小室さんに対して、岡村さんがある種の劣等感を抱いたことは想像に難しくない。なにしろ、岡村さんが長きにわたり沈黙することになる90年代は、まさにTKサウンドがオリコン・チャートを席巻した時代なのだ。
話を戻そう。この“スーパー・ガール”のPVは、後に発売されたPV集には収録されなかったといういわくつきのシロモノである。この次に発売される“聖書”と、同一人物なのかと疑うほどの出来上がりなのだが、ネットでは観られるので、興味のある人はぜひ。バブル期の化石、天然記念物として、歴史的に保護されるべきフィルムである。

ともあれ、ここで終わっていたら、ちょっとヘンな人としか見られなかったかもしれないが、岡村さんの絶頂期はまだまだこれから。ここまでは、女性ファンを取り込んでいこうという意図があるように思うのだが、これ以降は社会的なメッセージを盛り込んだり、むしろ同世代の男たちを鼓舞するような楽曲を発表し始める。

次回は、日本人のソロ・アーティストとしてはめずらしく自らの名前を冠した3rd『靖幸』から、主演映画「ピーチ」辺りまでを書いていく予定。まだまだこれから先は長いですが、よろしくお願いします。


『エチケット』岡村靖幸


『エチケット』岡村靖幸


『イエロー』岡村靖幸


『岡村ちゃん大百科』岡村靖幸


『ビバナミダ』岡村靖幸

(初出:2012年9月17日)

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