お金の限界が見えつつある世界で。または文化の時代について
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くいしん twitter.com/Quishin
「金が正義」という経済の時代の終わりが本格的に見えてきたことによって、ビジネスや広告を主軸に働く人でさえも、「文化の時代」を意識し始めた。
文化とは“人の心の集積”である。「人の心」とは、愛、美意識、信念、矜持、情緒というように様々な言葉で呼ばれる。小説や詩は常に、言葉にならない何かを扱っている。言葉にならない“何か”によってしか人は救われない。
経済至上主義の世界においては、年収や身長、結婚と、数字とラベルによって人の幸福度をはかることが当たり前になった。
年収やフォロワー数、いいね数といった、表面的な数値にとらわれ、自らの人生にまったく関係のない赤の他人の人生がインターネットを通して目に入ってくることによって、ひとりで生きる力を育てることを阻害している。
正解がないことに気づくべきなのに、検索によって正解を求めてしまう。そんなことよりも大切なのは「ここから先はわからない」と知ることなのに。数字よりも大切なはずのフィーリングやバイブスについて、大切であると考える人は減ってしまった。
しかし、そんな時代はもう終わりだ。
左脳ではかれる価値に限界が来ていることはもう、多くの人が気づき始めている。
だから、今は、文化の時代になりつつある。
文化をつくる人が勝つ。
その「勝ち」は経済的な充足のことではない。
もっと根本的な幸福度を指す。
文化は本来、自然発生的なものだ。
「つくる」と言って、つくるものではない。
だからこそ逆説的に「文化をつくる」というテーマは曖昧模糊としていて扱いづらいがゆえに、おもしろくて、楽しい。
文化をつくる。
この文章に出会った誰かのために。
2018年12月26日、QUISHINCOM(クイシンコム)は久しぶりにリニューアルしました。
世界を変えるのはいつも、カルチャー、アート、ライフだと思っています。
改めまして、よろしくお願いします。
- text by Quishin
- photo by Naoya Ohkawa