185,000字で書く、andymoriのすべて(1/6)

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田中元 twitter.com/genmogura

アンディモリの原稿を書かせてもらうことにした。

もともと、アンディモリについてはいつか書きたいと思ってはいたのだ。けれど、彼らの作品に触れたことがある人には分かってもらえると思うが、彼らの楽曲はあまりに難解で複雑だ。

2014/8/24

この原稿を書き始めたのは2014年8月24日の日曜日だ。つまり、5日後の29日、スイートラブシャワーの1日目にアンディモリは解散する。一応、僕は解散ライブを観に行く予定だ。シロップの解散ライブの時と同様、「壮平くんありがとうー!」「やめないでー!」とかわめきながら泣き散らかしているファンには反吐が出るだろうし、なんだよあの曲やんねーのかよっていういらだちはあるだろう。けれど行くしかないと思っている。解散ライブを観た後で文章を書いてしまったら、絶対にフラットな文章にはならないと思う。自分で言うのもなんだけど。「彼らは伝説になった」的な文か、「ゴミでしたね」的に執拗にこき下ろす文になってしまうのが目に見えている。多分、こき下ろしになると思う。ファンを目の前で観なきゃいけないのが、自分にとっては多大なストレスなのがわかるからだ。つまり、アンディモリについてフラットな気持ちを保っていられる最後のチャンスが今なわけです。

想定している構成としては、まずこのエントリで「まだアンディモリを聴いたことがない」という人に向けて、僕がアンディモリにハマった経緯を書く。次に、アンディモリの音源をリリース順に紹介していく。紹介というか、聴いていて思ったことのメモになるので、すでに音源を聴いた人向けの文章を書いていく。先に白旗を上げるようなマネになってしまうけれど、小山田さんの影響元をさぐることもほとんどできていないし、インタビュー等もほとんど読めていないので、全然解読はできていません。ましてや歌詞中の政治的・社会的な比喩や、アンディモリ最大の特徴である楽曲同士の相互関連性について、まだまだ全然理解できていないと思います。しかし拙いなりに、アンディモリについて自分が考えたことを全て書ききろうと思います。クッソ長くなるかとは思うんですけど、面白いことを書けるように頑張ります。


『アンディとロックとベンガルトラとウィスキー』andymori

アンディモリにインタビューをしている媒体で面白いものなどいくつあっただろうか?

小山田さんのロックンロール史上最イケメンと言っても過言ではないルックスも相まって、正当な評価を受けていないように思える。そう、アンディモリの楽曲に見られる相互関連性に付いて、ちゃんと触れているテキストを僕は読んだことがない。ネットのアンディモリ評等をあまり読む気が起きないということを差し置いても、だ。これだけ、楽曲の枠を飛び越えて強力な結びつきを見せているミュージシャンなど、そうそういないのに。小山田さんのおそろしいところは、それらを意識的に行っているというところだ。自分も、それらのうち半分も解読できていないかもしれない。けれど、このままアンディモリが解散して彼らについて語られる機会が減ってしまう前に、なんとか問題提起をしたかった。

「ところどころすごく良いことを歌ってるけど、意味分かんないことも歌ってる」というイメージが定着してしまうのは、僕は絶対に嫌だった。これだけ深読みができるものなのだ、という認識がほんの少しでも広がってくれればと思って書いた。これだけ多元的な解釈を楽しめる曲を作るバンドなんて、ここ何年もいなかった。というか、ここまで多元的かつ抽象的であるにもかかわらず、軸の部分のブレがないバンドなんてこれまでいただろうか?

また、文中では断言するような書き方をしているが、あくまで「一つの解釈」であるということを、はじめにご理解いただきたい。きっと小山田さんも、自分自身の意図を超えてさまざまな解釈ができるようなソングライティングをしているはずだし。そしておそらく、小山田さんがロールモデルとしているであろう小沢健二さんの音楽を少し聴くようになっていたので、そのことも後々あわせて記してゆくつもりだ。おそらく、僕があまり書くことを見いだせない『光』あたりで書くと思う。

※2018年2月13日追記:都合により歌詞の引用部はすべて削除しました

2014/8/25

僕が初めてアンディモリの音楽を聴いたのは、2011年の春だった。前の年に友人からCDを貸してもらっていて、iPodには入れてあったのだけど、その頃は日本のロックバンドシーンから距離を置いていたので聴いてはいなかった。

しかし愛読していた音楽雑誌『SNOOZER』の2010年の年間アルバムランキングにおいて、『ファンファーレと熱狂』が13位に配置されていたのである。

『SNOOZER』のランキングは洋楽も邦楽も分け隔てなく選考される。その年にランクインした邦楽は、22位にくるりの『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』、32位に七尾旅人さんの『ヴィリオン・ヴォイセズ』、34位にミイラズの『トップ・オブ・ザ・ファッキンワールド』、36位にスーザンの『ゴールデン・ウィーク・フォー・ザ・ポコポコ・ビート』、45位にアジカンの『マジックディスク』、46位にトクマルシューゴの『ポート・エントロピー』、49位に髭の『サンシャイン』、51位にボウディーズの『ゼアーズ・ノー・ターニング・バック』、51位にブンブンサテライツの『トゥー・ザ・ラブレス』などなど。

考えてみれば、2010年に行われていたクロスレビュー企画ですでにアンディモリは取り上げられており、高い評価を得ていたようだった。しかしとにかく当時の僕は、日本のロックバンドにアレルギーに近い反応が出るようになっていたので、聴こうとは思えなかったのだった。(唯一の例外は、ロック雑誌には出ないウーバーワールドだった)しかし、年間ランキングで13位となったら、これはもう聴くしかないのだろうなぁ……。と思い、仕事の休憩時間『andymori』を再生したのだった。(17歳の頃からスヌーザー及びタナソウさん信者だったので)

一曲目のFOLLOW MEが流れ始めた瞬間に思ったのは「あー、ミッシェルのジェニーまんまだな。若いバンドなんだろうな、パクリ元が丸わかりじゃん」だった。今考えると、ひねくれたしょうもなくい考え方をしていたものだなぁと思う。しかしその後からギターとベースが入ってきて、がむしゃらなリズムを刻み始めるさまはあまり悪くないように思えた。そして歌が始まってみると、早口でまくし立てるスタイルに衝撃を覚えた。とんでもないレベルの早口だから聴きとれなかったし、歌われる言葉も常用する語句ではないため、何を歌っているのかほとんどわからなかった。

かすかに聴き取れる歌詞から「日本のロックバンドにありがちな、てきとうな言葉を羅列して意味を煙に巻く感じかな」なんていう邪推すらしていた。(本当にたちの悪いリスナーだな……)しかしコーラスを初めて聴いた時から、メロディに感服した。腹の底から出ている雄たけびなのに、どこか哀愁を感じさせる。

それに、1stアルバムの一曲目のコーラスが、言葉じゃないなんて、自分は他に知らなかった。洋楽で言うならば、ハードファイの2ndアルバムの一曲目『サバービアン・ナイツ』であろうか。あの楽曲が2008年の『SNOOZER』年間シングルランキングで1位を飾った時、そのコーラスが「これぞユニバーサル・ランゲージ。これぞアンセム」と評されていた。

つまり言語の垣根を越えて、誰でも歌うことができるということだ。その方程式にFOLLOW MEも当てはまると言えるだろう。それにコーラスが明けてからの歌の変化も、とても効果的であったように思う。少し気だるげに歌われたいわゆるAメロから、声を張り上げるように歌うようになっている。そこに、ただの勢いまかせ若者ではなく、技巧的な裏付けがあることを感じたのだ。

2014/8/26


二曲目のeverything is my guitarも、冒頭ではミドルテンポな楽曲が始まるのかと思わせて、一曲目に負けず劣らず高速ビートになっているところが面白かった。そういうあまり意味のない構成やアイデアから、肩の力が抜けているというか、どこかひょうひょうとしているように感じられた。この曲にはどこか、大好きなレイザーライトの1stのような性急さを感じた。歌の内容はどこか僕らのいる日常に近いものになってはいたが、一度聴いただけではそれらが何を意味しているかは捉える事ができない。

僕が日本のロックバンドから距離を置いていた理由は、「君と僕」しかいない世界や、幼稚で自己満足的なメッセージにうんざりしていたからだった。しかし、このバンドは今のところ、何もメッセージらしきものを発信していなかった。批判するに批判できないような、なんとも言えないもどかしさがあった。日本のロックバンド的なやりかたならば、「君」から「間違っていない」という承認を貰えたら、曲の主人公は(多くの場合は歌う人間そのもの)前向きになるのである。

(後に気付くが、結局主人公は間違っていないと言ってもらえていない)「走り出す」とか「強くなれた」とか、「幸せさ」とか「これでいいんだ」とか、無根拠で抽象的な、クソポジティヴ臭のする言葉が続くはずなのである。

曲中で「特に何のこだわりもない音」なんて歌う男を、僕は小山田壮平以外に知らなかった。これにはとにかく強い衝撃を受けた。

だって、こんなの嘘に決まってるじゃないですか。歌の中に、息継ぎするのがやっとなくらいに言葉を詰め込むような人間が、「特に何のこだわりもない音」で満足するはずがない。このソングライターが、なんでこんな変な歌を作ったのかがどうにも気になった。今でも気になっている。また、メロディの作り方が本当に巧みなのである。「ロックンロールバンド」という言葉が繰り返し歌われるが、メロディがどんどん変化していき、声が高まっていくので聴いているこちら側も否応なしに興奮していく。何度聴いても、こめかみの血管が、ブチ切れるんじゃないかってくらいに熱くなる。

演奏開始の合図はワンツースリーフォーではなく、「名・誉・白・人」。合図に意味深気な言葉を発するのはナンバーガールがよく使っていたやり方。名誉白人の正確な意味合いは把握していなかったものの、「脱亜入欧」のような精神性に端を発する白人コンプレックスが露わになったような言葉であったと記憶していた。(確か小林よしのりさんの『ゴーマニズム宣言』で目にしたことがあったのだと思う。まさか、日本の音楽を聴いていてこのような言葉を耳にするとは思っていなかったので、かなり衝撃的だった。(鳥肌実とかやってそうかも?)前の二曲目とは打って変わって、この曲はテンポがのろのろとしているので、言葉が比較的聴きとりやすかった。どこか、ふざけた歌いかたにはあざとさすら感じさせる。

こんな音楽を体験したことは、それまでなかった。そして今でも、この時の興奮を上回る経験はできていない。アンディモリを初めて聴いた僕の反応は、だいたい以上のようなものだった。くいしんさんはあらかじめ『ファンファーレと熱狂』も借してくれていたので、そのまま通して聴いた。そしてグロリアス軽トラが終わる頃にはどっぷりとファンになってしまった。

そして2ヶ月後の6月に発表された3rdアルバム『革命』はリアルタイムで聴き、そして落胆した。この辺りのことは、各作品の部分で触れていきたいと思う。自分の手元にある音源は、EP『アンディとロックとベンガルトラとウィスキー』からとなるので、LP盤の『都会をすごい速さで走るベンガルトラ』については何も書くことができませんが……。

2014/8/27

ここからは、アンディモリを約二年四カ月聴いてきて考えたことを、バンドのディスコグラフィーに沿って書く。自分の書く考察に対して「深読みのしすぎじゃない?」と思われるかもしれません。しかし、意図して比喩や暗喩を多用するアーティストに対しては、聴く側も深読みをし続けなければならないものだと思います。もちろん、深読みなんてしなくても、単純にバンドの奏でる音と小山田さんの声を聴くだけで本当に楽しいし、聴いてすぐに分かる言葉を拾うだけでも十分感動します。メッセージ性ではなく、音楽として愛されることこそ本望だとも思います。

また、一見意味不明なアートでも、作り手にはしっかりと制作意図がある場合が多いということについて。たとえば、79年に発表された“美術館で会った人だろ”という曲があります。P-MODELというバンドのデビュー曲です。この楽曲、気が狂った男が誇大妄想的なうわごとを言っているだけの曲に見えますが、実際はソングライターの平沢進さんが、当時のプログレシーンに対する想いをぶつけている曲です。もともとこのバンドは、マンドレイクというプログレッシヴ・ロックバンドが原型となっています。マンドレイクでもフロントマンだった平沢さんは、当時の日本のプログレシーンの絶対的に技術志向なところや、優越感な態度に閉塞感を感じていたといいます。そんな中で、海外ではパンクムーヴメントが起こり、プログレは音楽的にも文化的にも時代遅れとなってきます。平沢さんは様々な流れを受けて、プログレから脱却し、パンク・ニューウェーブの流れに身を置くために、P-MODELとして生まれ変わらせます。そうした文脈で美術館で会った人だろを読み解くと、歌の主人公は平沢さん自身で、「あんた」は権威主義的なプログレミュージシャンの暗喩であることがわかります。

アニメーションの話にはなりますが、岡田斗司夫さんが、自分が制作にかかわったDAICONフィルムという映像の解説をしている動画があります。アニメーション、解説映像ともに、YouTubeに。DAICONフィルムとは、日本のアニメーション史上に残る名作と言われるものです。現在放送中の「アオイホノオ」に出てくる人物たちが制作したものなので、そこから知った人も多いかと思います。このアニメーションは台詞の無いもので、僕はただの破天荒でハイクオリティな映像がウリだとばかり思っていたのですが、岡田さんが長時間にわたり説明するところによると、制作者たちの重厚なメッセージが表現されているのです。ただ、観ている側にそれが伝わるかは別の話です。もっと言うなら、作っている側が、観ている側に「100%伝えようとしているかどうか」も、別の話しなのです。DAICONフィルムに込められたメッセージを、観た人全員が理解したかと言うと、そんなことはありません。しかしその映像に衝撃を受けた人が大勢いる。芸術表現というのは、そういった側面があると思うのです。宮崎駿さんがチャゲ&アスカの依頼を受けて制作した短編アニメーション『On your mark』についても触れられていました。奇しくも、小山田さんと似た騒動を飛鳥さんが起こしたために、ブルーレイディスクの発売が見送られてしまった作品です。

おそらく、アンディモリの楽曲に込められたメッセージを、多くの人は理解できないでしょう。僕も全然理解できていません。けれど、理解できなくても「スゲェ!」と打ちのめされることがある。だから人は芸術表現に触れることを止められないのではないでしょうか。自分がアンディモリを始めて聴いて、愛好するに至ったのも、単純にバンドの演奏やメロディの良さに惹かれたからなのですから。

2014/8/28

僕は音楽ライターの田中宗一郎さんと、社会学者の宮台真司さんのことが好きです。この二人が折に触れて「なんだかわかんないけど、とにかくスゲー!っていう存在に出会うことの大切さ」を語ることがあります。宮台真司さんは、それをミメーシス(≒感染)という言葉で説明し、田中宗一郎さんは「普段あんまりポップ音楽を聴かない人に向けてわかりやすく書くのではなく、なんかオモロそうだなー、すごそうだなーって感じさせることさえ出来ればいい」とツイートしていました。(もちろん、「興味を持った人は自分で調べればいいんだよ」という補足つきですが)僕にとってアンディモリはまさにそれでした。

歌が全然聴きとれない、歌詞カードを読んでみても何の歌なのか全然わからない、けどとにかく聴いていると「むちゃくちゃスゲー!」ってことだけははっきりとわかりました。何度聴いても信じられないくらい胸が高揚するし、歌詞など理解できていないのに“SAWASDEECLAP YOUR HANDS”を聴くと熱い涙が出てくるのです。むちゃくちゃスゲー存在に出合うと、人は成長できるのだ、ということを宮台真司さんは語っています。みなさんにとってもアンディモリが、自分の世界が広がるきっかけだったりはしないでしょうか?

『アンディとロックとベンガルトラとウィスキー』

先に書いておくと、五曲の収録曲のうち、三曲は『andymori』にも収録されているし、残りの二曲は人を選ぶ出来になっている。

そのため一番初めにリリースされたCDではあるが、これからアンディモリを聴き始めようとしている人がいるなら、まずは1stアルバムから順に聴いていくのが無難だ。

andyとrock
まず一曲目の“andyとrock”だが、1分もない大変短い曲である。

ギターに寄りそうようにベースとドラムが入ってきて、間もなく弾けるように激しい演奏に切り替わるというもの。正直な話、演奏と歌に見どころはない。寛さんの音域に縛られないメロディアスなベースはこの時点で目を引くものがあるが、天才ドラマーである後藤さんがあまりにお利口なプレイしかしていない。歌に関しても、小山田さんの、血がにじみ出そうな叫び声には心を動かされそうになるものがあるのだが、あまり歌われている内容がピンとこないため感情移入は難しい。歌詞についても、直接的な描き方が多く、この時点では凡百の邦ロックと大きな差はない。

ただ、アンディモリの作品を全て聴いたうえで考えてみると、この1分にも満たない時間に、小山田壮平という人間の表現の核のような言葉がいくつも出てきているというのは興味深い。

モラトリアム的な感覚が強く現れている1stアルバムへの布石のようでもあるし、小山田さんがさまざまな形で「時間」の無さや性急感、切迫した状況に言及していくことになるのも納得できる言葉だ。

歌詞の中には小山田さん自身の体験から直接的に生まれたと思われる言葉が散りばめられる。

戻れない、帰れないという、ホームを失ってしまったという状況は言を変えて何度も歌われる。これが実際に、帰る家がもうないということなのか、心の拠り所のような場所が無くなってしまったということなのかはわからない。会えない人と歌われると、楽曲の中でたびたび登場する、事故死したお姉さんのことを思わせる。お姉さんを亡くした過去は、小山田さんの独特の死生観に、強く影響を与えているはず。先ほど触れた、「戻れない場所」というのは、いわゆる親元、実家のことではないと思う。ツアーなどで近くまで行った際は、地元の友人たちと会ってきたということが書かれていた。それとこれはまったくの邪推になってしまうが、多分家はあるのだと思う。小山田さんの姉である咲子さんが事故で亡くなった後、彼女が生前に書いていたというブログが『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』という書籍として出版されていたからだ。この本を出した海鳥社という出版社のページを見てみると、小山田さんの出身地である福岡県の会社であることがわかる。また、自費出版事業を行っているということも。おそらくだが、『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』は自費出版だろう。(そういえば、このえいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してるも未読である……。小山田さんを語ろうとするうえで、咲子さんの文に触れていないということが許されるだろうか。いや、許されない……。しかし自分が一番アンディモリにはまっていた時期に、この本は絶版となっていたのだ。2013年10月に、新装版として出版されたが……。いつかこの本のことも、改めて文にしたためたい)娘さんのブログを自費出版で発行するような余裕のある家庭なのではないだろうか。いや、経済状況がひっ迫していたとしても、どうしても世に出したいという強い想いがあったということなのかもしれないが、そもそも姉妹そろって早稲田に通わせちゃうってことはかなりの上流階級なのではないだろうか。とか思ってしまうのは、中の下くらいの家庭で育った男のひがみ?(追記:小山田さんが「両親がずっと日教組だった」とインタビューで発言していた。

正直、曲としては面白くないけど……。小山田さんの唄声は凄まじい物があるが、いかんせんカタルシスがないのだった。そう考えると、歌の内容は理解しづらいのにカタルシスのある楽曲を作れるようになったということは、すごい成長なのだと再認識できる。そういう意味で、アンディモリの音楽を一通り聴いたリスナーが、その音楽性の原点に触れるという意味では、買ってみても良いかもしれない。

2014/8/30

遠くへ行きたい
二曲目の“everything is my guitar”、三曲目の“FOLLOW ME”、そして五曲目の“ベンガルトラとウィスキー”については、アルバムの方で触れていきたいと思う。四曲目の“遠くへ行きたい”も、小山田さんの歌としっとりとしたギターからいきなり始まる。(この演奏法を文にできない。語彙と音楽知識が少ないです、申し訳ない)どうにかしたい出来事をどうにもできないという無力感、やるせなさ、諦念から、題名通り遠くへ行きたいという想いを歌いあげる。この曲でも、途中からベースとドラムが演奏に加わってくるが、どちらも添え物のような印象。ここにおいても、曲の主人公=小山田さんという感が強い。また、取り上げられているトピックについて具体的かつ直接的な表現になっているという点も、1stアルバム以降との違いだろう。

『アンディとロックとベンガルトラとウィスキー』に収録されている曲を並べてみると後にアルバムに収録されることになる三曲と、EPのみ収録の二曲では、クオリティに差が出過ぎているように思える。バンドアンサンブルの完成度という音楽的な理由ももちろんあるが、ソングライティングのキレが段違いだと言える。andyとrock、そして遠くへ行きたいの二曲は起こった出来事を具体的に描いているが、そのまま「意味」も通そうと奮闘しているように思える。このあと、小山田さんは抽象的ではあるが曖昧にはならない、表現の取りこぼしを起こさない言葉を作りだす天才となっていくが、この時点ではまだ凡百の邦ロックバンドと大きな差はない。楽曲を制作した順番ははっきりとはわからない。

LP版でリリースされた『都会をすごい速さで走るベンガルトラ』には、“モンゴロイドブルース”、“都会を走る猫”、“すごい速さ”の三曲も収録されていたという。さらに、2007年に発表されたという自主製作盤『everything is my guitar』には、すで“everything is my guitar”と“FOLLOW ME”も収録されていたらしい。勝手な憶測でしかないが、“andyとrock”と“そして遠くへ行きたい”は、かなり初期に造られた曲なのではないだろうか。もしくは、バンド結成前に小山田さんが書きためていた曲、という可能性もある。アンディモリの楽曲には、小山田さんが昔作った曲を再利用したものも多々あるらしい。単に、静かな曲を聴かせる構成のしかたが身に付いていなかっただけなのかもしれないが、この二曲と、他の三曲では毛色が違うことは誰の目にも明らかだろう。

以上が、1stEPのみに収録された楽曲のメモ。

次回は1stアルバム『andymori』のメモになる。その後、音源の発表順に記事をアップしていきます。

お金の限界が見えつつある世界で。または文化の時代について

「金が正義」という経済の時代の終わりが本格的に見えてきたことによって、ビジネスや広告を主軸に働く人でさえも、「文化の時代」を意識し始めた。 文化とは“人の心の集積”である。「人の心」とは、愛、美意識、信念、矜持、

志村正彦を愛した皆様へ

あれから5年が経った。記憶を整理するのに5年という月日はきりがよくてちょうどいい。 僕にとってもそれは、悲しみを、悲しみとして告白できるくらいにしてくれる時間であった。 正直に言うと毎年この季節になると、志村について

185,000字で書く、andymoriのすべて(1/6)

アンディモリの原稿を書かせてもらうことにした。 もともと、アンディモリについてはいつか書きたいと思ってはいたのだ。けれど、彼らの作品に触れたことがある人には分かってもらえると思うが、彼らの楽曲はあまりに難解で複雑だ。