「後悔」というのは人の普遍的な感情でありながら、SNSを中心にこれだけネットで他人のことがわかる時代においては、また一段と人に重くのしかかってくる存在である。
「軽薄な売文屋」や「書き散らす美学」を持っているライターがいたって、いいよね~。
「人類みな兄弟」って誰が言ったか知らないけれど、「人類みな弟子」でもある。
ストレングスファインダーで親密性が2位だったので最近よくそれについて考えてる。 親密じゃない人とコミュニケーションとるのがどうしてもストレスなので、だからオンラインコミュニティにもイベント(や懇親会やワークショップ)に
くいしん、2018年6月の活動実績です。 公開された記名記事は、2本でした。 ライターから編集者へとシフトしていく中で、記名原稿は減っています。 6月7月8月は、毎月20本前後の記事をつくることになって
人間を評価するときにどこの軸を評価するかは、人それぞれ違う。 100人いたら、100人の軸があって、似通ったものだとしても微妙に違ったものだと思う。 「人それぞれ違う」ということを、常に受け入れている人間でいたい
歴史にとって「事実」はさして重要ではない。 語り継がれることが歴史である。 歴史は簡単にすりかわってしまう。 語ることのできる者とは、残った者である。 忘れずにいたい。
noteを書きました。 人も募集しています。 ぜひ、note読んでみてほしいです。 よろしくお願いします。 編集チームを旗揚げしました!!!! 「QED」という名前です。 自分にとって「編集」とは何か。 初めて
最近よくする話。 編集者やライターというのは基本的にプロジェクトの最底辺。若い人は、それをわかった上でライターを目指したほうがよい。 基本的には最底辺だったんだけど、ヨッピーさんや柿次郎さんやカツセさんやさえりさんの
月曜から、朝から一時間ほど近所を散歩して陽の光を浴びる。 まだ梅雨だけれど、バリバリ太陽が出ていて、これはもう「夏」と呼ぶしかない。 午後にこの文章を書いているけれど、エアコンをガンガン使っている。 「
「金が正義」という経済の時代の終わりが本格的に見えてきたことによって、ビジネスや広告を主軸に働く人でさえも、「文化の時代」を意識し始めた。 文化とは“人の心の集積”である。「人の心」とは、愛、美意識、信念、矜持、
あれから5年が経った。記憶を整理するのに5年という月日はきりがよくてちょうどいい。 僕にとってもそれは、悲しみを、悲しみとして告白できるくらいにしてくれる時間であった。 正直に言うと毎年この季節になると、志村について
アンディモリの原稿を書かせてもらうことにした。 もともと、アンディモリについてはいつか書きたいと思ってはいたのだ。けれど、彼らの作品に触れたことがある人には分かってもらえると思うが、彼らの楽曲はあまりに難解で複雑だ。