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先日ネット上で公開された岡村さん本人が参加している対談を読んでいたところ、僕が以前雑誌のインタビューで得た情報との間に食い違いがあった。おそらく若き日の岡村さんは、いくつか事実を隠していたのだと思う。その件については後述していくが、今回僕は2011年以前の情報をもとに書かせてもらう。いや、おかしいとは思っていたんですよ。1989年に行われたインタビューで「キング・クリムゾンは去年初めて聴いたしね」と語っていたのに、『岡村ちゃん大百科』には「中1の時の『キング・クリムゾンの宮殿』のジャケットをモチーフにした絵で展覧会に入選」なんて書いてあるんだもん。まあ、ジャケットだけ知っていたって可能性もあるのだけど。

岡村さんが音楽家を志すようになったのは、高校2年生の頃のことだ。当時、大学に進学しないことだけは決めていたという岡村さんは、敬愛するミュージシャンであるプリンスやポール・マッカートニーの、一人で全ての楽器の演奏をこなすというスタイルに憧れ、ギターや、ベース、キーボードを買って多重録音に勤しんでいたのだという。そして進路を考える段階になってから、いくつか将来就きたい職の候補を考えて、なれる可能性が低い仕事から挑戦していくことにしたのだそうだ。考えた結果、ミュージシャンにはなれそうもないということで最初にチャレンジしてみたらしい。

そしてデモ・テープをレコード会社に送ったところ、若手のミュージシャンを育成する計画を立てていたエピック・ソニーが興味を示した。エピック・ソニーのプロデューサーはまず岡村さんを、渡辺美里さんのライター・チームに作曲家として加入させることで音楽スキルを磨かせて、時期を見てソロ・アーティストとしてデビューさせようと考えた。のちに作詞作曲から、プロデュース、アレンジ、演奏に至るまで全て自分でこなすようになる岡村さんだが、キャリアのスタートは意外にも作曲家としてであった。この時岡村さんは若干19歳。

僕がすごいと思うのは、岡村さんはこの時点で既に作曲の才能が群を抜いていたというところだ。10代でデビューするアーティストは少なくないが、その多くは「若さ」をセールス・ポイントとしている。若い人間が歌えばJポップの主要な購買層である少年少女は共感しやすいし、やはり「巷で話題の23歳デビュー」よりも「驚異の18歳デビュー!」というコピーの方が鮮烈さがある。だが、そうやって若くしてデビューしたミュージシャン自身は、往々にして音楽のスキルが欠如している場合が多いのは否めない。そういったアーティストが年齢を重ねていくと、ファンは遠のいていき、段々と活動が少なくなる。その頃には新たな10代ミュージシャンが登場して、同じようなサイクルが繰り返されていく。詳しく名前を挙げることはしないが、これを読んでいる人にもそういったアーティストもどきに心当たりがあるはずだ。そういった中で純粋に作曲のセンスを買われていたというあたりに、岡村さんの非凡さをうかがい知ることができる。ここで、「自分をどう見せるか」ではなく、「どれだけ良い曲を作るか」に向き合わなければならなかったことは、岡村さんに大きな影響を与えた。

新潟の高校に通っていた岡村さんは、高校卒業後に上京し、いくつかの渡辺さんの楽曲で作曲をし、ときにコーラスや編曲を担当しながらキャリアを積んでいく。周囲からは「スゴイ曲を書く奴」として認知されていくのだが、岡村さん自身はコンプレックスに苛まれながら日々を送っていたという。スタッフは大卒がほとんどだし、ミュージシャンや作家たちは才能と技術だけで飯を食っていけるような凄腕ぞろい。そこへ単身飛び込んで行った岡村さんだが、幼少期から音楽のレッスンを受けていたわけでもなく、「なにがなんでもミュージシャンになってやる!」というような確固たる信念があるわけでもなく、ついでに言えば音楽の知識に関しても、テレビで放送されていた歌謡曲番組を視聴していたくらいで、そんなに詳しいわけでもなかったらしい。自分に対して自信を持てず、劣等感や焦燥感に駆られたのは当然のことだろう。そこで自分を高めなくてはと奮起し、教科書を読み返したり、本を読み漁ったり、楽器演奏の技術を磨いたりしたという。きっと、倫理と社会と現代国語の大切さは、ここであらためて思い知ったのだろう。やはり大成する人は人知れずでも努力を積んでいるものだよなあ、と思わされるエピソードである。

そして渡辺さんの楽曲にコーラスとして参加していたある日、岡村さんは自分の出番がくるまで得意のダンスを踊って暇を潰していた。その踊りを見て仰天したプロデューサーは、岡村さんをソロ・デビューさせることを決定する。岡村さんがどのようなダンスを踊るのかについては、とりあえず観てもらうのが一番早い。学生時代にバスケットボール部に所属していたことによって培われた運動・反射神経から繰り出されるそのステップは簡単にまねできるものではない。というか多分、誰もまねようと思わない。とにかく手足が縦横無尽にうにゃうにゃとうごめくので、初見は面白いのだけど、何度も見ていると楽曲とのマッチングも相まって虜になってしまうこと請け合いである。ちなみに岡村さんの親友である吉川晃司さんは、その踊りに対し「ハエみたいだからやめろって!」と言っていたようだ。確かに、この頃の岡村さんは踊りの中でしょっちゅうハエのように手をすり合わせている。

そして岡村さんは、シングル“アウト・オブ・ブルー”で、86年12月にデビューを果たす。この歌の内容は「僕はとても苦しんでいるけど、他の人はわかってくれない」「きみが泣いているなら、すぐに駆けつけるよ」という2つのパートに分けることができる。独白の部分はおそらく岡村さんが当時感じていたことを言葉にしたのだと思うのだけど、その部分と相手への想いを歌いあげるパートの内容がうまく一致しない。僕は、この曲のサビの部分は、本来は岡村さんが「誰かからこんな風にかまわれていたい」という想いから生まれた言葉なのではないかと思う。ためしに、歌詞に出てくる「君」を「僕」に入れ替えてみてほしい。自分自身が葛藤や苦悩を抱えていても、恋愛が成就すれば自分は幸福になれる、充足することができるという、ありがちな思い違いを表現していると考えてみても優れたポップ・ソングではあるのだが……。まあ、ありがちっていうか、僕がそう考えていただけなのだけど。この楽曲は、恋愛だけでなく、家族間の愛情を歌っていると考えてみてもしっくりくる。岡村さん、「一人暮らしなんていうものは寂しいから、するもんじゃないよ」と、後にラジオでこぼしていたので。

そして87年3月、2ndシングル“チェック・アウト・ラヴ”を発売。

君が居なけりゃ意味が無い
友情なんか僕は欲しくない

というフレーズは白眉だが、アレンジはまだ平凡なもの。また、この曲では早くも、DCブランドに身を包むギャルに弄ばれる普通の少年というコンセプトが登場している。同じ月に1stフルアルバムとなる『イエロー』をリリース。“はじめて”や“ホワイト・カレッジ”などの、十代の少年のようなピュアネスが凝縮されたようなバラッドは面白いと思うのだけど、正直な感想を書くと、この時点ではまだ凡百のシンガーというか、おあつらえ向きという感じが否めない。僕はベスト・アルバムである『早熟』で、キラー・チューンである“アウト・オブ・ブルー”と“ヤング・オー! オー!”を先に聴いてしまっていたので、このアルバムにはほとんど思い入れが無い。正直この作品は、シングル以外の曲の練り込みが足りないように思うし、LPとしてもインパクトが弱い。なんと1曲目が“アウト・オブ・ブルー”で、2曲目に“ヤング・オー! オー!”があるという、驚きの構成なのである。中盤に、プリンスへの愛で作られたような“ウォーター・ベッド”があるが、シャウトも歌詞もぎこちなさがあり、習作という側面が強いように思う。だがメッセージ性と言う意味では、この曲が一番濃度が高い。僕は岡村さんの記念すべき処女作ではあるが、95年発表の5th『禁じられた生きがい』と同じく、岡村ちゃんヴァージンに最初に手に取るべき作品ではないと思う。このアルバムの2曲目に収録され、同年の5月にシングル・カットもされる“ヤング・オー! オー!”。楽曲自体の説明は前回に行ったが、同年の8月に行われたライヴで、尾崎豊さんが飛び入りする形で共演を果たしている。

2人が親友同士なのは有名な話。加えて、岡村さんが作曲という形で関わったこともある吉川晃司さんの3人で、夜な夜な遊び回っていたのだという。ここで岡村さんは、少し遅れた青春を謳歌していたのかもしれない。そんな2人の仲は、言葉で語るよりもこの映像を観てもらった方が伝わるだろう。ぶっちゃけ、子どもの悪ふざけの域ではある。尾崎さんなんて歌を間違えてるし、岡村さんも叫び過ぎてちゃんと歌えていない。けど、こんなに楽しそうにじゃれあっている大人たちなんてそうそう見られるものではだろう。というか、2人ともイケメン過ぎ。ジャニーズの新しいアイドル・グループですって言われたら一瞬信じてしまいそうなレヴェルだ。もちろん、尾崎さんはもうこの世にはいない。こんなふうにいくつもの夜を共に過ごしてきた人が亡くなってしまったという出来事は、岡村さんの心に大きな闇を落としているはずだ。

少し順番が前後するが、岡村さんはこの年の7月に発売された“ドッグ・デイズ”で大きな変化を遂げる。リズム面がぐっと強調され、「岡村靖幸」というキャラクターもほぼ完成される。『岡村ちゃん大百科』によれば、この“ドッグ・デイズ”も前述のライヴで尾崎さんと共演していたらしいが、僕はまだその映像をお目にかかったことが無い。その後の狂い咲くような飛躍を考えると、岡村さんにとって『イエロー』の制作はまだ雌伏の時期だと言える。次回は、岡村さんの才能が開花の兆しを見せる2ndアルバム『デート』から3rd『靖幸』あたりまでを書く。


『イエロー』岡村靖幸


『岡村ちゃん大百科』岡村靖幸

(初出:2011年10月20日)