「兄弟」と『革命』|185,000字andymoriレビュー(4/6)

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田中元 twitter.com/genmogura

兄弟

2011年の4月に配信が開始された楽曲。3rdアルバム『革命』のレコーディング合宿中に東日本大震災が発生したことで、その場で作られた曲だという。そのような経緯から、この曲の収益金は全て震災の義援金として寄付されるとのことだった。また、『革命』のレコード盤にはこの楽曲も収録されているということからも、この楽曲はアルバムの延長線上にあると言っていいだろう。

少し荒い音のエレキギターが鳴らされるのと同時に歌がはじまる。楽曲の終盤では、ピアノも弾かれているが、アンディモリの曲では初めて使われる楽器だ。小山田さんと藤原さんは、子どもの頃にピアノを習っていたということだが、ここで弾いているのはたぶん小山田さん。楽曲のタイトルである「兄弟」という言葉が強調して歌われるのが印象的。この先、いくつかの曲で「兄弟」という言葉が使われることになる。

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小山田さんが優しい人だということがとてもよく表れている。“クレイジークレイマー”と同じく、「がんばれ」「なんとかなるよ」といった類の言葉は使われない。がんばってどうにかなる問題とそうでない問題があるということを知らない人が使う、場合によっては暴力的な効果を持つこともある言葉だ。「笑いあった日」と「涙の日」を並べることで、前向きになれない人の心も拒否反応が生まれないようになっている。小山田さんは、震災後の悲惨な状況、国や行政のずさんな対応には目を見張らせていたはずだ。けれど、それらを責めるようなことはしない。(宮台真司さんの言うように、諦めを持って見つめていたのかもしれないが)「目をみてくれよ」という言葉からは、原発事故という大いなる人災をひた隠しにしようとする役人や東電の人間たちに、「誠意を持つ機会」を与えようとしているというふうに読めないだろうか。(というか「目を見て謝る機会」)そんな人たちにも「兄弟」と語り掛ける。

「震災復興支援」は、とてもタイムリーで話題を集めやすい題材だが、逆に言えば「震災」「原発事故」というテーマに焦点を絞り込んでしまうと、それらの事故が忘れ去られたときに、その楽曲が存在する意義は薄れていってしまうものだろう。(「忘れないために」「思い出せるように」というエクスキューズはあるかもしれないが。)普遍的という言葉は好きではないけれど、この楽曲においては、震災から3年が過ぎた今聴いても、全く古びた感じはしない。

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ここにきて「青い空」「鳥」「自由」という言葉が同時に並ぶ。『ファンファーレの熱狂』を通過した状態でこのラインを聴くと、どこか長い夜が明けたかのようなカタルシスがないだろうか?飛び交っているということは、鳥たちは仲間に出会うことができたということだ。「いつか逃がした鳥」は、ミサイルや魔女に覆われた夜空を抜けて、青い空にたどり着くことができたのだと。3.11が、日本がターニングポイントにたどり着いたということを象徴する事件としての意味合いを持つことを察知してしまったのではないか、という邪推もできる。


『革命』

3rdアルバム『革命』

2011年6月発表。ドラマーが後藤大樹さんから岡山健二さんに交代してからの初リリース。岡山さんのプレイが劣っているということはないのだが、後藤さんのドラムが個性的だったこともあり、音楽性は否応なしに変化している。また、小山田さんのソングライティングも“兄弟”から見られる傾向だが、『andymori』『ファンファーレと熱狂』と比べると、歌われる言葉がとてもストレートになっている。そのあたりについては、小山田さん自身がインタビューにおいて
「今は、真実を歌いたいっていうふうに強く思ってて。……どっちつかずでボヤッとしてる時間も、嘘ついてる時間もないって思うようになった。せめて歌の中だけでは、真実でありたいって凄く思うようになった」

と語っている。これまでの暗号的とも言えるような抽象性は、本人の意図によるところだったのだろう。しかし相変わらず、特定の言葉を反復して用いているので、そのあたりを解読していくのは一つの楽しみではないだろうか。このアルバムの楽曲に共通するテーマは、「コミュニケーション不全」であると思う。全編に渡り「想いが届かない」「上手く伝わらない」といった、諦めのムードが通底しているように思うのだ。詳しくは各楽曲の項で触れていくと思うが、なぜそのようなテーマでアルバムが作られたのかと言えば、これまでの作品が 小山田さんの意図とは違う形でリスナーに届いてしまった、という問題があるのではないだろうか。
奇しくも3.11を期に唱えられるようになった「絆」という言葉とは相反するようなテーマである。いや、コミュニケーションが不全であっても絆を築くことは可能である、という希望として捉えることもできるかもしれないが……。いずれにせよ楽曲そのものは震災前に作られたものであるはず。にもかかわらず、時代を象徴するような作品になってしまうあたり、小山田さんというアーティストは本当に恐ろしい。

ただ、僕としては、本当に落胆したというか……アルバムを発売日に買って、工藤優作ばりに「なんじゃこりゃあああああ!」と叫びそうになったことをはっきりと覚えている。ドラムはあまり弾けていないというか、疾走感が無くなったことが嫌だったのだけど、今にして思うと小山田さんの声もちょっと抑え気味になっていると思う。メロディがちょっと微妙じゃないか……?僕は和音とかの知識が全くないからわからないのだけど、このアルバムと『光』の曲って、歌っていてもあまり気持ちよく良くならないのだけど……。1stと2ndは、かなり早口なのにメロディもめちゃくちゃ良いから、何度歌っても全然飽きないのだ。小山田さんの歌い方の変化が魅力の減少だったのだと気付いたのは、『宇宙の果てはこの目の前に』を聴いてからのことだ。

01.革命

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小山田さんにとって、風とは政治的な動きや機運の象徴なのであろうか。もしくは、この先の使われ方から考えると、いわゆる「空気」のようなもの、つまり自分を取り巻く周囲の人々が発する雰囲気、とでもいうもの。このラインについて、また楽曲全体について思うのは、「革命を起こそうと本気で考えて、行動に移している人がいるわけじゃない」ということだ。しかし曲のタイトルはこうだし、アルバムのタイトルすらもこうだ。このあたり、どこか皮肉というか、諦めの境地にいるように感じられてしまう。

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ここも、ちょっとよく意味が分からない……。胸が騒ぐというラインは、すごい速さやサワズディークラップユアハンズにおいて使われた言葉であるが、電話が鳴って呼んでいるってあたりは全く分からない……。

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これらの言葉は、ファーストと、自らが抱えるわだかまりのすべてを吐き出そうとしたセカンドを世に放った後の小山田さんが歌うと、少し考えさせられるものがある。少なくとも、この歌をうたった時点では「届かなかった」という思いが小山田さんの中にあるということだろう。今よりもはるか先の未来に、誰かの心に風を吹かせるんだという願望を込めた予測をする。どこかこの叫びには、虚しさを感じてしまう。

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ここでまた「ファンファーレ」だけど……。前作で使われていた「ファンファーレ」はアメリカが吹き鳴らしていたものだというネタばらしがあったけれど、なんだかここでは違った意味で使われているように思える……。

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アンディモリの曲を読み解く際、「太陽」がどこにあるかというのはわりと重要である。詳しくは前作の項までに書いてきたが、太陽とは日本の経済的繁栄や古い価値観の象徴として描かれている場合が多い。このラインは、そういった古い価値観に抑圧されている人々(夜明け≒太陽が沈む時間帯)の心から、古い空気を押し出してあげたいということだと思う。小山田さんが「いろんな人の心を解放してあげたい」と直接的な言葉で語ったこともあるくらいだ。

なんだか“革命”という曲が、何度聴いても僕にはバシッと心に来ないというか……まぁ、そういうわけで、どれだけ歌詞とにらめっこしても、あんまり言葉が出てこないです……『革命』と『光』はこんな調子になります。

02.楽園

小山田さんのニヒリスティックな考え方が前面に出た曲。定年にまみれたメッセージを、検体的なボーカルで歌い上げた前の曲“革命”がどこか希望のあるメッセージにすら思えてくるほど。

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子どもに向けて作られたディズニーアニメから、「おとぎの国」のシュガーコーティングを剥ぎ取ってみたら、実際は何が描かれているべきだろうか……ということを歌っているのだろうか。それにしても不感症のシンデレラっていう言葉のインパクトの強さときたら、ないだろう。
性的な意味での不感症ではなくって、何でもかんでもオーバーリアクションすぎるっていう意味で感度が高いと言いたいのだろうか。まぁ、アニメーションの特性上、記号化して動かした方が見せ易いとう理由があると思うのだけど……。

このセンテンスに、ディズニー批判の趣があるとは思わないが、レディオヘッドのトム・ヨークは「ディズニーとは悪しきグローバリゼーションの象徴」という指摘をしていたりもする。(こういうことを女性の前で言うと「何言ってんのこいつ」って顔されたり、「めんどくさいことばっかり考えてるんだね」と言われたりしますけど……だからわざわざ言いませんけど)様々な国や地域の文化を、アメリカ的・ディズニー的なテイストが、他の国や地域にある土着の文化を潰してしまうことがある、という意味においてだ。前作の“ずっとグルーピー”におけるグローバリゼーションの描写と同じで、それはもう止めることができない流動なのだが、そういった事象に警鐘を鳴らす人というのは大勢いるのだ。そう、ディズニーとは、超巨大グローバル企業の代表格なのである。(いちおう、ピクサー作品や、ピクサーと統合されて以降のディズニー作品は内省的なテーマ設定が多くて好きですよ。リア充になれない人間からするとハッピーエンド色が毎度強いのは気になるけど…)

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このラインは音程を変えて2パターン歌われるけど、ここを歌う小山田さんこそ無表情で不感症という感じがしませんかね……?やっぱり、正直メロディがガツンと来ないように感じてしまう。また、行く先は「南」という、これまでアンディモリの楽曲でなにか「幸せ」「安心」をイメージさせる方角である。ただちょっと、どういう意味なのか全然読み取れない……。

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愛する人であるかどうかはわからないが、“ハッピーエンド”において

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というラインがあり、近いものを感じさせる。「死ねるよ」という言葉は、どうにもならない状況で悩んでいる相手に対し自殺という選択肢を勧めているのではなく、むしろ逆説で、消極的ではあるが励ましの言葉とも取ることができる。たとえば、93年に出版された「完全自殺マニュアル」という、自殺手段について徹底的な解説が書かれている本がある。一見不謹慎なタイトルと内容だが、この一冊の本はかえって多くの人を救うことになった。詳しくはウィキペディアなどを見てもらいたいが、あらかじめ「自殺という手段がある」ということを知った人のガス抜きになったという側面はあったのだろう。本当に危ない人っていうのは、思考が極端に狭まってしまっている人だ。冷静になって考えれば、選択肢は無限にあるはずなのに、あらかじめ無意識にさまざまな可能性を遮断してしまい、どんどん追い詰められていく。「どうにかしなければ」と、本当に衝動的に死を選んでしまうタイプではないだろうかと思う。「死にたい死にたいって言ってるやつに限って死なない」という定説があるようにだ。そして重要なのは作者である鶴見済さん自身が、息苦しさを感じている人たちのセーフティネットになるように願ってあの本を書いたということだろう。(鶴見さんについて七尾旅人さんがブログで書いていた。宮台さんも言及していたような……?)中村一義さんがフロントマンを務める100Sの“ハニカムワイアー”という曲の歌詞に

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というものがある。もちろん、自殺をほのめかしたラインだが、中村さんはこれを「聞き手を信頼するがゆえの突き放し」と語る。(中村さんも、強い自殺願望を抱えていた人だ)田中宗一郎さんが指摘したように、「死ねばいいのに」という言葉が00年代末期ごろから、若い人たちの間で使われることが増えたように思う。そういった、突き放しの言葉とは違う意味で、小山田さんは「死ねるよ」と言っていると思う。この「死ねるよって思うんだ」という言葉は二度も歌われる。強調して歌おうという意思がなければ、二度も言葉にしないだろう。(のちに、小山田さんは実際に自殺を図ってしまったが……)

03.Weapons of mass destruction

いや、あの、このアルバム以降顕著になるし、本人も“ネバーランド”で

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と自虐的に歌ってはいるものの、もろに“オレンジトレイン”のギターと“グロリアス軽トラ”のドラムですよこれは。やはり、僕が『革命』と『光』の曲をあまり聴き返さないのは、アレンジの被りが目立ってしまうからなのだ。そしてどうしても、先に発表された曲への思い入れが強すぎて、何とも言えない気持ちにさせられてしまうのだ……。

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“エヴリシング・イズ・マイ・ギター”において桜坂という固有名詞が出てきたけれど、こちらでは単にさくら通りと呼ばれている。関係性があるかどうかは不明……。“サワズディークラップユアハンズ”では、主人公は「風に吹かれ 影に追われ」ていたはずだ。しかしここでは、風はぬるく、影はただ主人公を包んでいるだけのようだ。『ファンファーレと熱狂』で小山田さんが作り上げた架空の世界とは違い、この世界はアイデンティティーを捨てることを強制されはしない、という意味合いか?森という言葉が指す意味も、正直わからない……。“シティライツ”におけるエコバッグへの言及から考えるなら、エコエコ言っているけど結局、電力や資源の消費はやむところを知らない、という意味で「哀れな営み」と歌っているのだろうか……。こう歌う主人公自身も、その哀れな営みに加わっている。電気や電化製品無しの生活を、考えられるだろうか?そういう流れで解釈すると、小山田さんが描いた未来予想が、このままでは現実になってしまうのではないかという曖昧な不安を描いたラインなのかもしれない。

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頻出ワード「コーラ」の登場である。ここでのコーラは、アメリカで生まれた飲み物として使われていないだろうか。ファストフードの代表格、という意味で使われているようにも思うが。コーラを分け合おうとする相手が、君。主人公は「僕にとっての君みたいな」「綺麗な人形がほしい」と歌う。これは、日本とアメリカの関係ではないだろうか。日本はアメリカにとって綺麗な人形(ダッチワイフの暗喩ではない?)のようなものであり、アメリカは同じような存在をさらにほしがる。ここでいう「東へ」というのはアメリカから見て東、「中東地域」を指しているのか……? 石油などの利権問題が大きく絡んでいるだろうが、アメリカが中東をどれほど荒らしまわっているか、説明はいらないだろう。(宗教の問題もあるような気はしますが)イラク戦争のあとに統治政権が発足されたが、それはまるで第二次大戦の後の日本のような状況ではないだろうか。ウエポンズ・オブ・マスディストラクション、大量破壊兵器。イラクに対して「大量破壊兵器を隠している」という難癖をつけて、かくいう自分たちは大量破壊兵器を破棄することなく、戦争によって侵略を果たしたアメリカ。このメロウな楽曲に乗せて歌われるこのラインは、どこか諦念にまみれてしまっている。

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太陽が恋しいと歌うあたりは、“僕がハクビシンだったら”と似たシチュエーションである。二通りの解釈ができる。コンクリートジャングルは経済的繁栄の象徴とみていいだろう。そしてそこに、一度は太陽の光が降り注いだが(日本が経済的な豊かさを得たが)、今はもう沈んでしまっているということだろうか。もしくは「降り注いだ」は、その後の大量破壊兵器に掛けられた言葉だという解釈もできる。

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この辺りは、歌われている内容も“オレンジトレイン”にそっくりである。映画のような我が世界というのは、前作で提示した未来の世界の予想図という意味だろうか。それを発表し、世の中の人たちに社会問題にかかわる言葉を検索されたり(アバディーン・アンガス等)、少しでも良い方に考え方を変えることができたなら「うまくいった」ということになるのだろうか。ダメなら悲劇にヒーローになる……後の自殺しようとしたことを考えると、うまくはいかなかったのだろうか。そういう意味で、やはり今作は「届かない」「伝わらない」がテーマになっているのだろうな、と思う。

04.ユートピア

「ユートピア」という言葉自体、楽園と、けっこう近い意味で使われる言葉のように思うのだけど……。小山田さんにとってアンディモリがユートピアだ、ということを宣言しているのだろうか。

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“ビューティフルセレブリティー”においても「誰もいなくなった街」についての言及があった。抜け殻の街っていうのが何を指すのか、全然わっかんないですね……。福岡も、東京も、所沢も、抜け殻だなんて言えるような場所ではないし……。

“革命”におけるラインとかなり似ている。小山田さん自身が、誰かの声を受け取ったという事実があり、だから小山田さんも、誰かを変えることができる風を吹かせたいと願っているということなのだろうか……。

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あの空の向こうで生まれる情熱というのは、ロックバンドのムーヴメントがイギリスやアメリカで起こることがほとんどで、日本が常にその後追いをしてきたということを指している? あるいは、政治的な思想や運動の最前線がヨーロッパにある、ということであろうか……。正確な解釈は少し難しいけれど、「バンド」についての歌であるなら、ロックバンドについてのラインであるように思う。アンディモリは明確にガレージロックリバイバルの流れに強く影響を受けているし。

05.スーパーマン

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なんだかステロタイプ的なイメージといえばいいのだろうか。“楽園”において、「争いの先に何があるのだろうか」という問いかけをしていたことを考えるならば、スーパーマンも「おとぎ話」の中の登場人物として選ばれているのではないか。争い合っている人間たちも、愛する世界の一部なのだから。映画の内容には賛否両論があると思うが、昨年公開されたスーパーマンシリーズのリブート映画『マン・オブ・スティール』もそれに近い題材を扱っていた。もとよりスーパーマンはクリプトンという惑星の種族の末裔である。そして同族であるクリプトン星人が地球を侵略しようとやって来たため、スーパーマンは地球を守るために彼らと戦うことになる。このあたりの関係性は、ドラゴンボールにおける悟空と、ベジータが最初に闘うあたりの展開を思い出してもらえばいい。(ちなみにドラゴンボールってスーパーマンからたくさんアイデアの引用をしているんだよ)。やっとめぐり合えたはずの同朋たちを倒さねばならないという状況にスーパーマンは悩みに悩む。何かと戦うということは、何かを守り、何かを敵に回さなければならないということだ(というか、アメコミはこういうへヴィなテーマが本当に多い)。しかし、この歌で使われるスーパーマンという言葉は、「一つの役割を果たすために生まれた存在」、つまり純化された存在であり、本来なら戦うことで生まれるはずの葛藤などは無視されている。ある意味では、小山田さんが歌い続けてきた「ごちゃごちゃした思考は捨ててしまいたい」という強迫観念が表現されているといえる。先の曲で歌われた「この体は少しだけ重たすぎて」というテーマになぞらえるならば、この曲で歌われる純化された存在たちは、余計なものを捨てて極限まで身軽になった人々ということだろう。「世界中を愛し」という言葉には、あまりに強い皮肉が込められている。前の曲で歌われた「嫌いになれないさまざまなあれこれ」のほうが、小山田さんの感覚に忠実な言葉だと思う。とまた、スーパーマンもアメリカンコミックのヒーローである。今作でもまだ、少し、アメリカという存在への言及は尾を引いている。

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スーパースターを思い浮かべてみると、ハリウッドスターがまっさきに頭に浮かばないだろうか?自分が嫌いなものに、憧れてしまうという心境。人間、本当に嫌いな物というのは、自分が抑制している欲望を果たしている存在であったりすることが多い。

06.ダンス

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小山田さんの「愛」に対するスタンス。Jポップや邦ロックにおいて、至上のものとされることが多いソレに対して「そんなにたいしたものじゃないんだ」である。P-モデルの“のこりぎりぎり”という曲で

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という歌詞があったが、それに匹敵するニヒリズム。

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このあたり、小山田さんこそが「夜に飛ぶ鳥」であったことの種明かしと取ることができないだろうか。岡村靖幸さんも、長い長いスランプの後に公言していたことだけれど、強く人の心を打つ曲というのは、クリエイターが自分自身にメッセージを送ったものであることは多い。“兄弟”における「鳥」たちの描写と併せて考えると、小山田さんにとっての「夜」はすでに一度終わったことになっているようだ。

07.ボディランゲージ

この曲などは、ディスコミュニケーション的なテーマがかなりわかりやすく表れていると思う。もはや言葉を交わさなくなったのか、交し合うことができなくなってしまったのか。

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このあたりが、この時の小山田さんの感覚が表れているような気がする。「一つにはなれない」、100パーセントは通じ合えない。エヴァンゲリオンの「人類補完計画」に通じる感覚だと思う。「悪あがき」「最後の」という言葉に込められたものの重さは、自殺未遂騒動が終わった後に聞くと痛感させられる。

08.Peace

かなりストレートな気持ちが歌われているように思うのだけれど、どこか白々しさがあるというか。

大好きなCDをかけて あの頃に帰ろう
まだ怖れも知らなかった 無邪気なあの頃に

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このラインについては噓くささしかないですよね。そもそも愛してるとか好きだとかって言葉を使いたがらない小山田さんだし、しかもそれが、明日はともかく「百年後も」ですよ。あれだけ、先のことなんてわからない、確かなものなど何もないっていう悲しいまでの境地に行ってしまっている小山田さんだ。こんなん、小山田さんが本気で言うわけないじゃないですか。アイドルソングじゃあるまいし……。もちろん、愛してない、好きじゃないということではなく、その気持ちがどれだけ純粋なのかということを、小山田さんは常に疑ってしまいはしないだろうか。

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このラインが二度歌われるが、怒鳴り声のような荒々しさをもって歌われるあたり、なにかおそろしいというか……ここで歌われたことが、本当に「本当の心」なのか?という気がしてしまう。

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小山田さんが友だちに対して「憧れ」の気持ちを歌い上げる回数はとても多い。“都会を走る猫”において

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と歌っていた。(そう考えると見つからなかったボールっていうのは、“誰にも見つけられない星になれたら”の星と似たような意味だったのだろうか。社会に深く交わらずに生活をしていける人、という意味?)また、“クレイジークレイマー”では

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と歌う。ここでの「言えるわけない」っていうのは、「断言はできない」という曖昧さではなく、「お前に面と向かっては言えない」ということだったのだろう。そしてそれは、次作の“ベースマン”における

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という言葉と同義だったはずだ。ここで歌われる「友」というのも、既に亡くなってしまった人のことなのではないだろうか。まさに、「儚い世界の中」である。

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小山田さんには弟さんがいて、このレコードを発表した時には韓国で暮らしていたらしい。 “投げキッスをあげるよ”を韓国語に訳してもらい、韓国でライブをしたときに歌ったという。そしてお姉さんの咲子さんについては、EPの項でも書いたけれど、事故でこの世を去っている。このラインに関しては、本当に切実な想いがつづられているような気がする。

09.無までの30分

一番難解というか、複雑な気持ちにさせられる曲。前作で完成され、今作で投げ捨ててしまう手法が、この曲では使われているように思う。つまり、一見それぞれ繋がりがないように思える言葉をちりばめることで情報量を増大させ、メッセージを抽象化してしまい、楽曲の力だけで聞き手を引き込むというやり方だ。この曲で歌われるシビアな現実認識は、このアルバムの中では、次の曲の“サンライズ&サンセット”と共にトップクラスな気がする。他の曲たち、“ボディランゲージ”や“スーパーマン”などはまだ楽天的なコーティングがしてあるから、聴くのにつらくないのだけれど……。また、この曲は、1stと2ndの歌詞との関連性がとても強い。どこか電車の中を舞台にしていると思われるあたりも、前作の“オレンジトレイン”とも共通している。最期から三曲目、というところも。

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「電車」「銀河」などという言葉が並ぶと、どこか宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を思い起こさないだろうか。電車に乗る「君」とは一体誰のことなのだろう。鼓動が二つあるということは、人が二人いるということ。ここまで歌われてきた流れから考えるなら、亡くなってしまった「友だち」と「お姉さん」であろうか。そして、“ウエポンズ・オブ・マスディストラクション”では、小山田さんも電車に乗っていた。『銀河鉄道の夜』というモチーフがあるのであれば、ここでは、死んでしまった人と、生死の境をさまよった主人公の二人が同乗しているという場面であるように思う。「友だちの美しさに憧れる」というシチュエーションから考えるなら、ここは小山田さんと友だちであるような気がする。

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このラインは、これまでに作られた二枚のアルバムに想いを馳せているのではないか。祈りという言葉からは“ずっとグルーピー”や“サワズディークラップユアハンズ”を思い浮かべるし、あの星という言葉からは“誰にも見つけられない星”になれたらや、“1984”、“シティライツ”を思い浮かべるだろう。太陽については曲名を挙げていくのが面倒なほど頻出している。グルーピーやシスターたちが無心に(偽悪的にとらえるなら思考停止的)捧げていたはずの祈りはどこへ行き、それは何を生んだのか。星という言葉に込められたものがちょっと難しい。「6時の一番星」のことでもあるだろうし、なりたかったはずの「誰にも見つけられない星」のことでもあるだろう。また、祈りという言葉から連想していくと、多くの人に祈られてはずのスター≒バンドたち、という見方もできなくはない。つまり、祈りを捧げられるほどの熱を生んだ対象たちが、そもそも「どこへ行ったんだろう」と思われてしまう程度には、どうでもいい存在に成り下がっていってしまうということ。そしてここで歌われる太陽は、日本のことなのだろうか……。6時の一番星が結局かき消されてしまうほどの存在が、またあらわれてくるということを暗示しているということ?

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先の曲で「明日も百年後も好きだよ 好きだよ」と歌った口で、「永遠を信じた彼女」なんて歌われていると、どこか、その行為がやましい、よこしま? 言葉が出てこん。良くないものであるかのような印象にならないだろうか。

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と歌うアイドルがいたが……。100年先のことを「誓う」と言われて、その愛を実感できる人って言うのが、いったいどれだけいるだろう?愛にのぼせ上がっている、とんでもないナルシストでしかないじゃないか。また、うつむいてばかりの彼という言葉は、“サワズディークラップユアハンズ”の主人公を思い起こさせる。あの曲の主人公は、極限な苦境に立たされていたが、そんな彼が「許される日が来る」と、どこかぼんやりとした期待を抱いている。そう考えると、前のラインの「太陽」がまた昇るのではないかというのも、かなり曖昧な形の言葉だな。

偽悪的な見方をするなら、「30分」とはアンディモリのアルバムの収録時間とほぼ合致する。アンディモリはここまでのアルバムを、レコード盤に収録できる30分程度の時間に収めている。そして、「一瞬の夢」という言葉。これは、小山田さんが「世界のことをもっと知ってほしい」「みんなに調べたりしてほしい」という思いを込めて歌を作ってきたはずなのに、リスナーたちは30分のレコードを聴いている間だけ「夢に出会い」、結局レコードが終わればその後は小山田さんが歌った社会の問題などについて考えることはない。結局は、小山田さんの「啓蒙」は失敗し、Jロック的な流れで「消費」されてしまったという認識が込められているのではないだろうか。

10.Sunrise&Sunset

カントリーロック調の曲。個人的には、このアルバムで唯一、好きな曲。(これ書くために何度もアルバムを聴きかえしたけれど、他の曲は、本当にそんなにガツンと来ないんですよ……)

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「花」という言葉は、“1984”や“16”においても登場したけれど、ここでは「音楽」の比喩ではないかと思う。つまり、ロックバンドが鳴らす音楽のほとんどは、先人たちがすでに鳴らした音と大して変りがないということを指している。「あの空の向こうで」すでに生み出されたものなのだということ。

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という言葉の変奏といえばわかりやすいだろうか。自分たちはオリジナルのコピーの、さらにコピーであるという感覚は、何かを創作しようとする人が突き当たる壁ではないだろうか。エヴァンゲリオンの庵野秀明監督が、「自分たちはテレビを見て育った世代だから、自分のアイデアを閃いたと思って喜んでも、後になってから「あ、これはあそこから取って来たのか」ということに気づいてしまうことがある」と語っていた。つまり、フィクションに囲まれ、影響を受けて育った世代だということ。「おもちゃもマンガも」身近ではない世代の人たちが作ったものは、フィクションに影響を受けておらず、芸術としてはオリジナルな場合が多いのではないかという考え方だ。

ちょっと関係のない話だけど、フィクションの中でフィクションについて語るということも、かなり当たり前になっているように思う。『モテキ』なんてそうですよね、固有名詞だらけ。奇しくもアンディモリのメンバーがこのアルバムの制作合宿の時に観賞会をしたという『(500)日のサマー』という映画などもそうです。モテキとメンタリティが近く、物語のつくりそのものもかなり似ている。『ブルーバレンタイン』と並んで、日本でも人気の高い恋愛映画ですね。その主人公がこう語るシーンがある。「映画とかポップスがウソを生み出している。だから傷つくんだ。自分の気持ちくらい言えなくちゃ……本音をさ。こんな、人に押しつけられた言葉じゃなくて」自分の言葉や、人生観が、フィクションに強く影響されていることに気づいてしまう瞬間の、あの絶望感。それを見事に表した場面だと思う。というわけで、僕は、小山田さんが「捨てろTVPC そのアイデンティティ」と歌ったことにひどく感銘を受けてしまったわけです。

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サビが否定形なのである。通常、サビというのは曲の中で最も強くメッセージが打ち出される部分。フックとなる言葉が重ねられる部分。この歌で小山田さんはそこに、こんなにも救いの無い事実を連ねていく。前作までであれば、ここに、具体的な社会問題を連ねていったかもしれない。しかし、こうして抽象的な言葉を配置するようになっていることは、小山田さんのソングライティングの変化が表れているように思う。

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演奏がギターのアルペジオだけになり、強調して歌われるライン。消えてしまうだろう、無くなってしまうだろうという部分が、やはり、小山田さんの考え方の根本にある者なのだろう。

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このラインが、このアルバムで一番キます。一見救われるようでいて、待ちわびているだけの状態。ただの願望であり、それらが叶う当てなどない。君からの手紙、気にしてないよの一言。たったそれだけのことで、心の中のわだかまりは氷解するかもしれない。けれど、来ないのだ。自分の中にある本当に強い願いなんて、かなわないことが多い。かなわないからこそ、強く希求してしまうのかもしれないけれど。

11.投げKISSをあげるよ

直接キスするのではなく、投げキッスである。相手を遠ざけるというイメージから、これもまた、積極的なコミュニケーションを避けていると取ることができる。

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無責任な言葉の羅列。(しかしこういう言葉がほしい瞬間があるというのも、わかる)

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思考停止を誘うライン。どこか、小山田さんが自分自身に向けた言葉であるように思う。(これまで小山田さんが何度も何度もアイデンティティーを捨てたがっていたのは周知のとおり)

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ゴミ箱にシュートしたのは、気持ちや記憶ではないだろうか。「こんな考え方はよそう」と思ってどこかへ追いやったとしても、いつかは気持ちが噴出してきて抑えられなくなってしまう……という経験は、誰にでもあることでは?

最後に

革命は、コミュニケーションの限界がテーマだと捉えたコミュニケーション不全という言葉を選びかけたが、少し違うと思った。どれほど努力をしたとしても、100パーセントの理解などあり得ない。会話が通じ合っているように思えても、自分が意図したとおりに相手に通じているかどうかは、わからないものだ。宮台真司さんが「吉幾三問題」と語ったことがある。吉さんが上京したての頃に喫茶店で勤めていた時のこと。ある日、マスターが用事で外に出て、吉さんが留守を任されていたらしい。やってきたお客さんに「ウインナーコーヒー」を頼まれたらしいが、吉さんはそんな言葉を初めて聞いたのだという。とりあえずウインナーを炒めて味付けし、アメリカンコーヒーと一緒に出すことにした。するとお客さんはウインナーを平らげ、コーヒーを飲みほし、会計をして出ていったのだという。マスターが帰ってきてからそのことを話したら、「ウインナーコーヒー」の本当の意味を教わった。というのが話の顛末なのだが、吉さんはマスターに教えてもらわなければ、「コミュニケーションの齟齬」が生じていたことに気付けなかった。お客さんに至っては、自分がウインナーコーヒーを頼んだことを忘れていたのか、それともお客さんもウインナーコーヒーの意味を知らなかったのか、それとも注文の間違いを指摘することができなかったのか……全く何もわからないわけである。

つまり、そういうおかしな「言葉の捉え違い」のようなことは、日常の中で無数に起こっている。小山田さんがディスコミュニケーションをテーマにしたのは、自分の本当の心をさらけ出したアルバムが、自分の思っていた通りにリスナーに届かなかったからではないか、というのが僕の持論。そこで集められた楽曲も、コミュニケーションにまつわるものばかりになっている。「絆」という言葉が大々的に取り上げられた時勢に、こんなアルバムを出してしまう。震災はアルバムの制作が佳境に差し掛かった頃に起きたので、こうにも「絆」という言葉が流行するとは予測できていなかったはず。こういうところが、アンディモリが時代に選ばれたバンドだったのだと思わせられるところである。


『革命』

お金の限界が見えつつある世界で。または文化の時代について

「金が正義」という経済の時代の終わりが本格的に見えてきたことによって、ビジネスや広告を主軸に働く人でさえも、「文化の時代」を意識し始めた。 文化とは“人の心の集積”である。「人の心」とは、愛、美意識、信念、矜持、

志村正彦を愛した皆様へ

あれから5年が経った。記憶を整理するのに5年という月日はきりがよくてちょうどいい。 僕にとってもそれは、悲しみを、悲しみとして告白できるくらいにしてくれる時間であった。 正直に言うと毎年この季節になると、志村について

185,000字で書く、andymoriのすべて(1/6)

アンディモリの原稿を書かせてもらうことにした。 もともと、アンディモリについてはいつか書きたいと思ってはいたのだ。けれど、彼らの作品に触れたことがある人には分かってもらえると思うが、彼らの楽曲はあまりに難解で複雑だ。